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辻褄 Phase Eleven

 オープンテラスの喫茶店はもう6時を過ぎて7時に近い時間ながらも人が多くいて、建物の中の座席の方が空いている状態だった。ライトアップされたテラスは薄暗くなった空の色と反対の色で輝き、幻想的な雰囲気を醸し出していた。私はそんなところにいる。
 雑誌社の女性が笑顔で頷いて答えた。
「分かりました。では土曜日ということでよろしいですね。場所は青山のスタジオを借りますのでこの地図をご覧になってお越しください」
 女性の隣の男性がコピーした青山付近の地図を私、マユ君、木島という広報の人、石川という切れ者って感じの男に配っていった。
「この後、ユーザーの方の服合わせをしますのでよろしくお願いします。少し休憩にしましょう」
 雑誌社の2人が去っていくと、いよいよ、という感じが急に湧いてきて私は嬉しくなった。こんなことを神田にでも言ったらバカにされるだろうし、大崎は状況を根掘り葉掘り聞いてきて、目黒は相手にもしてくれないと思う。そして理沙にバレたら間違いなく横取りされる。横取りじゃなくても乱入は避けられないと思う。あんな老け顔に乱入されたら私のデビューはあり得ない。
 無事モデルになったら今度はモデルから女優へ転身したりして、男をとっかえひっかえしちゃったりするなんてかっこいいじゃない。あ、でもそんなことしたらスキャンダルになっちゃうのか。逆に遊びまくってたらそれはそれで意外に新しいタイプのタレント像とか言われるかもよ。
「夢が尽きないねぇ」
 突然声がしたのでびっくりして顔をあげると石川という男が木島っていう人に言っていた。私にじゃなかったんだけど何か変な汗をかいてしまった。マユ君に気付かれたかな、と思ってマユ君を見てみると木島って人を見ていた。む。何で目が輝くんだマユ君?

 僕は別に目を輝かせていたわけじゃない。木島さんの生き方を羨望していただけだ。木島さんは広報としてインタビューでエルモアがアピールできるようにとジャンヌの人と既に話をしていたのだ。その手回しの早さと木島さんの目指すものに石川君が驚嘆してさっきの台詞をいったのだ。
 昨日のうちにプランを立てたそうだが、そうなると土曜日は二村と会って何を話したのだろう。そもそも二村と打ち合わせをする意味がない。二村は事務の仕事をしていて雑誌とは直接関係ないのだから。
 石川君が続ける。
「俺は正直そういう先を見据えた夢は持てないね。その場その場で精一杯だから」
 木島さんが笑って答える。
「何言ってるのよ。石川君なんて名うての営業マンじゃない。そんな風になってるなんて知らなかった」
 僕も知らなかったが、大方想像はついていた。エルモアの案は実際石川君に勝手にリーダーにされた僕ともう一人で根幹のアイデアを作ったが、石川君はそれを発展させ、なおかつプレゼンを完璧にこなしてみせた。あれが僕だったら絶対に失敗に終わっていただろう。僕は石川君にうまく操縦されたと思う。それがどうということではなく純粋に凄い人だと感じたものだ。
 石川君は営業と言っても販売ではなく、ブランドとの契約などに携わっている。入社2年目で成績が2位だというのは僕にとっては驚きではない。彼らしいから。こうやって同じスタートラインについた者同士に差がついていくんだ。僕は、一人遅くてもかまわない。自分を越えることなんてないんだから、急成長なんてそうそうあるものじゃない。焦りは禁物なんだ。昔から僕はそう思っている。
「初志貫徹は西君だけね」
 木島さんが僕に話を振ってきたので戸惑った。とりあえず一口アイスコーヒーを喉に通して自分を落ち着かせてから、
「うん…。やっぱり二人は凄いよ」
と、我ながら無難と思える返事をした。

 なんてつまらない返事なんだろう。私はマユ君たちの事情は分からないけど、どう見てもマユ君一人が取り残されているように見えた。石川って人は見るからに賢そうで仕事を難なくこなしている感じがする。ただ自分が凄いことをやっていると分かっている癖にそれに気づかない振りをしているのは気に入らないね。木島って人は今回のプランを作ったらしい。それってかっこいい。一人よそ者の私に結構気を使ってくれるし。
 やっぱりマユ君は取り残されている。
 そうそう、マユ君には、
「お願いだから僕との関係は『知り合いの知り合い』ということにして下さい」
って念を押されているんだ。だから一応よそ者ってことで。私のことだからいつバラすか分からないけどね。
 マユ君をネタに楽しく切れ者石川と話していた木島さんが私の方を向いて思い出したように、
「品川さん、実はモデルもやってもらいたいの。お願いできないかしら?」
と言った。何を今更言っているんだろう、とボケっとしていたら木島さんは、
「品川さん、スタイルいいからどんな格好も似合うと思うの。そういう写真を載せれば、自分もそうなると勘違いして買ってくれる人が増えるの。ね、お願い」
と両手を合わせる。面白い言い方をする人だなって思った。

 打ち合わせが一通り終わったので雑誌社の人と共に会社に戻って品川の服合わせが始まった。僕は男なので更衣室に入ることは許されず石川君と共に休憩室で待っていた。あ、「許されず」って別に更衣室を覗きたいっていうことじゃなくて…。
 石川君はタバコを吹かしながら呟いた。
「こんなところに休憩室あったんだ。俺、使ったことないどころか存在すら知らなかったな。俺は休憩してないんだ。ははははっ!」
昨日ここに来た僕は暇人ということだろうか。何か勝手に恥ずかしくなってしまった。
 タバコを中途半端なところまで吸った石川君は煙を手で払って、
「煙って嫌なんだよな」
とわけのわからないことを言ってゆっくりとした足取りで自動販売機の方へ歩いていった。僕だって煙は嫌なんだけどなぁ。あ、その販売機…。
 僕が「壊れてるよ」と注意する前に石川君は自動販売機の前で財布から意外に素早く硬貨を取り出して、滑らかに2枚を自動販売機に投入してボタンを押した。ゴトン、という音と共に石川君が屈んで缶コーヒーを取り出した。
「これのCMって面白いよな。ん、西君どうした? おいおい俺だってテレビは見るぞ」
 僕は呆気にとられていた。石川君はその理由を勘違いしているようだけど、僕は昨日は壊れていた自動販売機が正常に動いているのが不思議でならなかった。
 カチャン。
「ん?」
 石川君と僕は同時に鼻で声を出してカチャンという音のもとである自動販売機を見た。石川君が自動販売機に戻って釣銭投入口を覗き込んだ。
「あ」
「何?」
 石川君は黙って釣銭投入口に手を差し入れて、中身を取り出すと僕に見せた。その手には100円玉が光っている。石川君が突然笑い出した。
「はははっ! なるほど。誰か110円だと知らずに100円を入れて『あれ?』って感じで放置して行ったんだな。ここは110円なのに。その放置された100円が今落ちてきたんだ。っていうか普通は120円なんだから間違うわけないだろう。120円入れて10円戻ってくるのが最低ラインだと思うぞ」
「えっ?」
 その100円玉は僕のものだった。110円…? 社内の販売機は他にもあるがそれらは皆100円だったので勝手にここも100円だと思い込んでいた。
「馬鹿だよな〜。値段見ればすぐわかるのに。そう思わないか?」
 石川君、その馬鹿に言わないでくれないかなぁ。
 適当に話を合わせて誤魔化していると石川君が受付のほうに目をやって、
「あ、やっぱり受付嬢って美人がいるものだな」
と二村みたいなことを言い出した。
 あ、二村はどこに行ったんだろう? ここに来るときに車には乗っていたんだけど…。まさか更衣室に? いやいや、それはいくらなんでも無理だろう。木島さん、雑誌社の人、うちのスタイリストが品川に付きっきりで服合わせをやっているはずだから。
 そんなことを思っていると石川君がそばにいない。
「え?」
 周りを見回してもいない…あ、いた。受付に。二村状態で受付嬢にへばりついているではないか。男ってみんなこうなのだろうか。ん、確かに美人だ。笑顔も屈託ないし、それでいて上品というか、話していて楽しそうな人だ…ああ、これじゃ僕も二村じゃないか。
 そんな馬鹿なことを考えて受付嬢と石川君の楽しそうな会話の様子を少し離れたところから見ていると、エレベーターの方から声が聞こえた。
「ねぇ、こんなのどう?」
「西君、こっち。ほら、石川君もナンパしていないで」
 先の声が品川で、後の方は木島さんだった。僕は何気なく受け付け嬢から視線を外して声のする方に向いて驚き目を見張った。ドレスのような普段着のような、生地がだらしなく垂れてカジュアルでいて模様が高級な上着に黄色のデニムパンツという姿の品川は確かにモデルのように見えて格好良かった。これはそう簡単に似合って見えるものじゃない。スタイルが相当良くないと。
 そう思った瞬間あの全裸が頭をよぎって何気なく服とのつりあいを分析していた。そしてその直後自分が平気で裸身を思い浮かべていたことに気づいて慌てて品川から目を逸らした。これじゃ二村より僕の方がおかしいじゃないか。
 僕の心が読めたのか品川は腕組をして立ち止まり、
「どう? 不思議なくらいに似合ってるでしょう。私のスタイルはモデル並で、普通じゃないってことかな。あ、裸を想像するなよ〜」
 痛いところを突いてきた。
 僕の心境をよそに木島さんが品川に見ほれた様子で、品川の肩に軽く手をやりながら石川君と僕に嬉しそうに言った。
「これなら売り上げ増、みんな昇格じゃない? …は、大げさかな?」
 石川君も品川の着こなしに驚嘆したようで、さっきからニュースキャスターのように受付に置いて組んでいた両手をそのままながらに品川を見据えて答えた。
「広報の木島さんは昇格できるんじゃないか?」
「でも品川さんを紹介してくれたのは西君よ」
 …紹介というか、他に思い当たらなかっただけだが、敢えてそんなことを言わなくてもいいだろうと思って品川、木島さん、雑誌社の人、スタイリストの4人の女性が満足げな表情でドラマの主役のように丁度いい配置で少しポーズを決めたような立ち姿でいるのを眺めていた。

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 服合わせも終わって一応明後日私は4着着ることになった。服が貰えればいいんだけどな。
 今は私ももとの服装に戻って、マユ君と二人で駅に向かっている。あとは帰るだけ。今日は仕事が終わってからの打ち合わせだったから服合わせにあんまり時間をとれなかったけど満足できた。
 マユ君が元気なさそうに言う。
「今日はお疲れさまでした」
 何だか葬式が終わったみたいな感じで言うから私はおかしくなって笑いながら答えた。
「マユ君の方が疲れてるんじゃないの?」
「いや、そんなことはないけど…」
 完全に疲れた言い方。
 駅への道は真っ直ぐで落ち着いた雰囲気の店が建ち並んでいて、私はこういう感じも好きだったりする。ほのかな明かりに少しの客が入っているブティック、うるさくない程度に活気のある品のいい雑貨店、やっぱりここにもあるスターバックス。仕事帰りの人たちが駅まで私たちと同じようにぶらぶらと歩いている。
「マユ君、絶対疲れてるよ♪」
 私がマユ君に近づいて腕を組むとマユ君は引いた。
「ちょ、困りますよ」
 私はマユ君を見上げながらちょっといたずらな目で、
「木島さんが私にモデルを頼んだとき冷や汗かいたでしょ」
と言ってあげた。
「え? 何で?」
 とぼけ方がすっごく下手。こういう男って可愛い。
「モデルの件、木島さんに言ってなかったんでしょ?」
「あ」
「ね?」
「いや、言ってましたよ」
「嘘!」
 思いっきりマユ君に引っ付いてやると観念したみたいでうつむいて黙っちゃった。こういうとき、普通の男なら近くにある店を見つけて、
「そうだ、何か買ってやるよ」
なんて言ってはぐらかしたりするんだけど、いるんだね、カッコいいのにこういう感じの人。面白い。

 そう、僕は観念して黙った。何も言いようがないんだから仕方がない。それに木島さんがモデルを思いついてくれたことは偶然だったけど丁度辻褄の合う話になっていたのだから結果オーライだとも思うし、品川も別に怒っている様子ではないのでいいと思う。だからと言って腕組を解ける立場ではないので何もしようがない。しかし、こんなところを三沢に見られていたらまずい。僕は緊張した。
 そんな状態で2〜3分歩いたところで背後から声を掛けられてしまった。
「あれ? マユじゃないか!」
 振り返らないようにしたのに、品川が振り返ってしまったのだ。必然的に僕も振り返る形になり、背後にいた人物の顔を見てまた僕は観念することになった。どうして、どうしてこういうところにお前がいるんだ、二村。
「や、やぁ」
 他になんと言いようがあるだろうか。二村はいやらしい目つきと共に何だか苛立ちを見せて僕に近づいてきた。
「おいおい、こんな可愛い子ゲットしたのかよ」
「そんなんじゃないって」
 二村は僕の肩に手を回して品川に「ちょっと待ってて」という感じで軽く手を挙げて見せて、品川もこういう時それに逆らってくれればいいのにご丁寧に笑顔で頷いてしまう。僕は二村によって無理やり品川を背にするように向きを変えられた。内緒話状態で二村が言う。
「お前さ、あの娘ってモデルだよな」
「うん」
「もともとあの娘と…?」
 実にいやらしい笑顔で聞かれると腹も立つが、変に否定するのも信用されないかな、という強迫観念にとらわれてしまう。
「知り合いだっていうだけだよ」
 これが間違いだった。
「ちょっと待て! お前、知り合いの知り合いだって言っていなかったか?」
「あ」

 二村クンの声が急に大きくなったので聞く気がなくても聞こえちゃった。周りを歩く人たちもその声に思わず振り返ったりしている。
「ちょっと待て! お前、知り合いの知り合いだって言っていなかったか?」
 あーあ、私がばらしちゃう前にマユ君、自分で私との関係を怪しまれるようなこと言っちゃったんだ。
 二村クンがこっちを向いて胸を見た。何で胸? 私、そんなに大きくないよ。形は良いって言われるけど。感度も…そんなことはいいのかっ。二村クンが私の表情に気付いて愛想笑いをしてまたマユ君と話をし始めた。

「おい、あのブローチってお前が俺に喫茶店で婚約者のことを相談してきた日に俺がナンパしようとした2人組のうちの一人じゃないか?」
何? …え? 記憶にないんだけど…。僕は返事のしようがなかった。
「あのさ、俺が逃した獲物を密かにそういうことするなんてずるいぞ。…あ! お前、あの娘とヤっちゃったんだろ。それが婚約者に見つかったんだろ。お前がヤっちゃうってのが不思議だけど、もちろん男だもんな」
げ! さすがにこれだけは隠し通さないといけないだろう。僕は何とか演じなければと頑張った。
「そんなブローチはどこにでもあるだろう」
 二村は薄目で僕を軽く睨んで僕の言葉を噛み砕いていた。僕はこれに畳み掛けて何かを言うのも嘘っぽいと思って黙っていることにした。僕にとっては凄く長いが1分も経っていないはずの時間で二村が自分の考えをまとめたのか、口を開いた。
「そっか。あの娘に会ったのはお前が俺に相談してきた後だから、その前にお前がヤれるはずないのか」
 ヤるヤると下品な奴だと思う。
「そうだな、お前があんな可愛い娘とヤれるわけないよな」
 何だか悔しいような複雑な気持ちにさせる言葉に僕は同調するしかない。それで疑惑がなくなるならいい。

「どうもすみません。コソコソ話みたいになっちゃって」
 二村クンはさっきと同じ愛想笑いを私に向けながらマユ君とともに私に向き直った。
 そんな間にも家へ向かう人たちが立ち止まっている私たちを無視するようにして何事もないかのように通り過ぎていく。何か不思議な感覚。
 マユ君は困った表情で私の方を向いたけどすぐに何かを思いついた顔に変わって二村クンの方をチラッと見遣りながら珍しく攻撃するような言い方で呟いた。
「二村、さっき皆が会社にいたときお前、どこに行っていたんだ?」
 そういえば私が服合わせを終わって颯爽と登場したときには二村クンいなかったね。
 二村クンは考えることもなく返事をした。
「お二人さん帰らないの?」
 意外な答えに…答えになっていないね…私が驚いて
「へ?」
と訊いてしまった。
「いや、だからさぁ。お似合いのお二人さんは帰らないの?」

 二村はごく自然にその台詞を放ったので僕の思考が鈍った。その刹那、
「えっ、お似合い?」
 品川が半笑いのような表情で聞き返す。
「そう。お似合いだよ」
 よくもまぁ思ってもいないことを言うものだ。嫌みなどが微塵も感じられないのがむしろ僕には嫌みに聞こえて仕方がない。  それでも品川は本気にしたようで、
「そっかぁ」
と呟いている。
 二人の様子を見ていてここにいるのが嫌になってきた僕は駅に向かうよう二人を促した。いつの間にか周りを歩く人の数も減ってきていたためか二人は同意して僕たちは再び駅に向かって歩き始めた。
 駅に着くと二村が何だかバツが悪そうに苦笑いをして、
「そうそう、俺行くところがあったんだ。えっとここからだと電車、お前と反対方向になるんだ」
と言うのでふと駅の時計を見るともう9時半を回っているではないか。
「こんな時間にどこに行くって言うのさ」
「ん、ちょっと用事があるんだ」
 答えになっていない。間髪入れず品川が僕の気持ちを代弁した。
「二村クン、それじゃ答えになってないじゃん。場所を答えなきゃ。…フーゾクとか?」
 念のために付け加えておくと品川の言葉の最後の部分は僕の気持ちには入っていないものだった。思わず目が点になるのが自分でも分かったのだから嘘じゃない。二村も面食らったようで何も言い返せないでいる。
「あ、図星?」
 おい。今度は僕の気持ちを解さない品川が続けて言う。
「いけないなぁ。いくら私たちが仲良く歩いていたってヤケクソになっちゃ。私が慰めてあげられればいーんだけどねー、そうもいかないんだ。ねっ?」
 何故僕に同意を求めるんだ? そんな状態でありながらも僕たちは改札を通って階段を昇り始めていた。そして品川の暴走は続く。
「あれ、二村クンさぁ私の服合わせが終わった時にマ…西くんと一緒にいなかったたよね。もしかして私の着替えシーンを覗いてた?」
 え?
「え?」
 これは僕じゃなく二村の声で、どうやら覗いていたわけではないようだ。もしその通りだったら二村は笑って言い訳をするはずで、それはどんなに不意打ちであっても全く変わらない。こんなに軽い男が僕の友人であるというのがやっぱり不思議でならない。もちろんいい奴だからなのだがそれを差し引いても余りあるほど女性に対していい加減な奴で僕とは反りが会わないんじゃないかという気もする。
 妙な空気になったまま階段を昇ってホームに着く。
「あれ、覗いてたんじゃないの?」
「とんでもない」
「別に覗いててもいいんだけど」
「…」
 呆れたというか戸惑った様子の二村はその割には僕にだけ聞こえるように「何だそうだったのか」と呟いてちょっとだけ悔しそうな表情をした。それでもホームを見遣ると、自分の乗る電車が来たことに気付いてこれを幸いとばかりに、
「んじゃ!」
 とだけ言い残して電車に飛び乗って行ってしまった。品川はいたずらそうな笑みを浮かべながら二村の乗った車両の方に目を遣って、人がまだそれほど減っていないホームを自分の最寄り駅である駒込に都合のいい端の方に向かって歩きながら僕に言った。
「二村クンは今から女に会うんだね」
 僕はさっきまでの会話と今の言葉に整合性がとれていないと感じて、その意味を考えるために無意識に立ち止まった。僕の少し前まで歩いていた品川はそれに気付いて僕の方に戻ってきた。
「マユ君どしたの?」
 また腕をギュッと組まれてしまうが文句を言えない。もう腕を組まれるのには観念したが、その、胸が腕に当たってしまうのは問題があるんじゃないかと思ってそればかりが気になり始めたが悟られるのも情けないので、とりあえず気を落ち着かせるために上を向いた。そして品川に顔を向けると蛍光灯の残像が紫色になって僕の視界に焼きついていた。
「いや…さっき女じゃなくって、風…俗って言いませんでした?」
 僕が訊くと品川は何のことか一瞬分からない顔をしたが、合点がいったようでその笑みを僕に向けて、
「二村クンが今から何するかでしょ?」
「はい、そうです。風…俗に行くんじゃないかって聞いたのに今、女性に会うって結論になりましたよね」
 そして品川はすぐさまこう答えた。
「始めから女に会うって予想してたのさっ。だからわざと違うように訊いてみて反応を見たんだよ。風俗ってのはカマをかけただけに決まってるじゃん!」

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 僕は東十条駅からの人気もない静かな家路でさっきのことを思い出していた。
 ブローチ。そんなどうでもいいことを二村が勘違いして品川のものとナンパした女性のものとが同一物だと言い出したので、何となく品川のそれを二人で電車に乗ったときに見てみた。
「なぁに、マユ君も私の胸に興味あんの? 全然大きくないぞ。形はいいかもしんないけどなっ」
 僕はそのとき品川の言葉をちゃんと聞いていなかったので何を言われたのかはっきりしないが大方からかわかれたのだろうと思う。しかしそれはどうでも良かった。慣れたというのもあるが、それよりもあの羽根の形のブローチにどこかで見覚えがあるのが気になった。どこで見たのだろう。二村は確かにあのブローチと同じものをどこかで見たのかもしれない。見た場面を勘違いしているだけで。僕も二村も記憶にあるということは同時に見ているのかも知れない。何だろうか。まさか本当に悲劇の土曜日に二村がナンパしてすぐに逃げられたあの2人のうちの一人が品川だったということはないだろう。彼女の性格からして逃げるどころか…。
 僕はアパートの階段を横目に鍵を開けてドアを開けた。その直後ドアの横、アパートの角になっているところの死角から人影が現れた。それに気付いた瞬間影が素早く動いて、それに僕の目は着いていけず瞳孔が開かれるばかりで…。
「うああああああ!」

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To be continued.

        


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