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辻褄 Phase Eight

 金曜日は決まって「グレイスフル」という落ち着けるカクテルバーに行ってゆっくり一人でマスターが勧める2,3杯のカクテルを飲んで週末を迎えることにしていた。仕事が忙しいか美奈子に夕食を誘われる時以外は必ずそうしていたが今日はその例外となった。木島さんと打ち合わせを兼ねての再会祝いをすることになってフランス料理の店に着ていた。木島さんは忙しいんじゃないかと思ったが、
「折角再会したんだから、食事しましょうよ。それにね、広報も企画部同様土日が休みよ。金曜日はけっこうみんな早く切り上げちゃうの」
ということらしく僕の向かいに座っている。
 それにしても今週は外食が多い。その全てで相手が違うなどと云うのも今まで無かった。僕は料理が結構好きで残業が無い日なんかは手の込んだものを作ったりしているが、今週みたいなのもたまにはいいものだという気がする。
 木島さんがメニュー片手に僕に言う。
「ここって堅苦しくないでしょ。それが気に入ってるんだ」
 木島さんに怒られていたあの新人君はこんな彼女を知らないんだろうと思うとおかしくなってきた。その僕の様子を察したのか、
「そんなに変? そりゃ、私だって相手を見て話すわよ。西君に強い口調でなんて言えるわけないじゃない。西君がリーダーだったし」
 最後はうすら笑いとともに言った言葉だった。当然僕がリーダーなんかではないが、事実上のリーダーに勝手にリーダー呼ばわりされていただけのことだ。ちなみに美奈子は木島さんと違って僕に強い口調でものを言う。他の人に対してはどうだったんだろう? …最近美奈子の変なことばかりを思い出す。よく考えたらきつい彼女だったんだ。それでもあんな出来事にはショックを受けたんだろう。僕が一番衝撃を受けていると思うが、そういう問題ではない。
 このフランス料理のレストランは砕けた雰囲気で入りやすいが、場所が青山だけあってラフな格好の若者でさえもその加減がお洒落だった。そんな中、よれよれのスーツの僕。木島さんはパンツルックでさっ爽としているのでキマっていた。僕も昨日と同じようなまともなスーツだったら気後れしないで済んだだろうと思う。
 少量の料理が1皿運ばれてくると木島さんは「待ってました」とばかりにナイフとフォークを手にし、早速食事をしながら本題に入った。
「ねぇ、どうしてジャンヌから話があったの? それも西君は広報と関係ないじゃない?」
 全くおかしな話だと僕も思う。友達が雑誌社に勤めているとは言え、その二村だって事務の仕事で僕同様に取材と関係のないところにいるのだから。それでもこれは事実なので二村の言っていたことをそのまま木島さんに説明した。
 木島さんは僕が想像していなかった反応をした。食事の手を休めて首を傾げたのだ。
「そんなコネクション使わなくたってジャンヌくらいの雑誌なら取材は可能じゃない?」
 ん? そう言えばそうだ。突然降って湧いた話だったので面白そうだという思いだけで受け入れていて何も考えていなかった。今日になってまずは広報に話が行くべきだということに気付いたくらいなのだから。
 僕が考えていると木島さんは慌てたように手を降って言った。
「そのお友達を疑っているとかそういうことじゃないのよ」
 それに対して僕が力のない笑みを返したからか木島さんはバツ悪そうにうつむいて食事を再開した。そして僕は木島さんが舌平目のワイン煮を食べる様子を見ながらボーッと二村のことを考えてみた。僕と美奈子の問題を知っていた二村は親身なのかそうでないのかよく分からない態度だった。初めのうちは明らかに軽視していて、でも品川に頬をたたかれた火曜日のあの夜は深刻までは行かないものの「メールはどうなんだ?」なんて提案をしてくれていた。気落ちしていた僕を元気付けるために今回の話をセッティングしてくれたのかも知れない。しかしあいつが サんな気の使い方をするかと考えると「実に怪しい」という答えになってしまう。ではどう考えるのが自然か。…出鱈目でからかっている!? いくら悪友でもそんなことするだろうか。確かにやりそうな雰囲気はあって、過去の経験からいくと五分五分だとしか結論できない。二村の性格は女性が大好き、というあからさまな部分がある反面よく分からないところもあって、それを考えると、どちらかと言えば大人しい僕とどうして長く友達でいるのかという疑問にまで至ってしまう。
 ボーッとしていただけあって、知らぬ間に頬杖をついていた。木島さんが僕の様子に気付いてギョッとした様子になってスプーンを置いた。
「あの、西君?」
「ん? …あ」
 ようやく僕もその状態が「恋人が食事しているのを可愛いと思いながら見つめている」に近いことが分かって慌てて姿勢を正した。
「…いや、ちょっと友達の二村のことを考えていたんだよ。怪しいかも知れないってね」
 別に木島さんのことを責めるとかそういう意味ではなかったのだけれど、
「あ、私そういう怪しいとか云う意味で言ったつもりじゃなかったんだけど。余計なこと言っちゃった。ごめんなさい」
 また謝っている。この様子だけ見たらとてもチーフだなんて思えないだろう。僕は、いつ見ても平社員だろうけど。
 今度は木島さんが突然笑いだした。それに対して怪訝な表情をした僕に木島さんは自分の呼吸を整えるような仕草をしながら言った。
「西君って彼女のことそうやって幸せそうに見つめたりしてるのかな、って思っちゃった。婚約者がいるって聞いたけど、今の図星じゃない?」
 っ…誰もが僕の傷口を抉る。

 食事も最後のガトーになった。僕はさっき知ったのだが、ガトーとはケーキのことらしい。自分でも情けない出来事だったので詳細は省くが、ガトーを知らなかったために恥をかいた。
 そのガトーを横に退けてメモ帳を開いた木島さんがペンを走らせる。
「二村…弘孝さんね。携帯の番号まで教えてもらっちゃうのはいけないかな?」
 食事中は懐かしさのあまり、殆どお互いの1年間の仕事の報告になっていたので今頃になって本題である。
「会社の電話で十分じゃないかな?」
「うん、そうなんだけど…」
 随分と歯切れが悪い。
「どうしたの?」
 困った表情の木島さんが僕には何と答えたものか迷っているように見えたが、案外あっさりと口を開いた。
「気にし過ぎなのかもしれないけれど、その二村さんから来た話を二村さんを通り越して編集部に持っていった場合に二村さんが気を悪くしちゃうんじゃないかと思って。逆に編集部を通さないで全然関係ない部署の人である二村さんにコンタクトを取っちゃうとトラブルになっちゃうかも知れないから、まずは二村さんに個人的に連絡を取っておきたいって思うの」
 なるほど。それは確かにそうだ。納得した僕は二村の番号を木島さんに教えた。が、これがまたややこしいことになるとは…。

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「じゃあね。また連絡するわ」
 レストランから出て木島さんがハンドバッグを両手で持った。ちょっと前かがみの、女性によくある仕草だ。そういえば美奈子は…もういい。
「うん。それまでに何とかメンバーを見つけておくよ」
「そうね。じゃっ!」
 そう言うと木島さんは会釈気味に笑みを見せて、僕が軽く頷いたのを見ると振り返って歩いて行った。
「よし。明日から捜索だ」
 呟いて僕は木島さんとは反対方向に歩いた。それから2分ほど経っただろうか、携帯電話が鳴り出した。木島さんかと勝手に思い込んで相手を確認せずに出てしまったのが間違いだった。
「もしもし」
 僕の嫌いなねっとりとした声が聞こえてきた。
「お、プレイボーイだね」
 馴れ馴れしい、そのくせ元気の無い、いや、やる気の無い声。三沢タカオだ。大学のとき僕と美奈子と3人でよく会った相手だ。だが、この男は…。僕は必要も無いのに立ち止まって左手をポケットに突っ込んだ姿勢になった。三沢は続ける。
「昨日はちょっと可愛い娘、今日は知的な魅力の女性。外食が好きなのか?」
 僕は急に背筋が寒くなり、髪の根がそばだつような感覚にとらわれた。僕の行動が奴に見られていた?
「どうしてそれを…」
「まあまあ、俺のことはいいさ。西ちゃんはどうなの最近? お盛ん、って解釈でいいのかな?」
 僕は返す言葉が無い。
「へっ。そんなこともどうでもいいんだけどな。今度会おうじゃないか」
 やっと我に返る。
「合う必要がどこにあるんだ」
 僕の返事に三沢は大声で笑い出し、笑いすぎて電話の向こうで苦しそうな息をし、しばらくしてやっと返事をした。
「予想通りのことを言うなよ。驚いたじゃないか。殺す気か? へっへっ…まだ苦しい…ひっ…はぁ、分かりやすいなお前って」
「悪かったな」
「けっ、そこまで予想通りか。まぁ、いいや。美奈子に浮気をばらされたくなかったら従えよ」
「浮気じゃない」
「あれ? 美奈子はそう言っていたぞ?」
「え?」
 美奈子? どこにいるんだ? 三沢のところ? なんだ、何なんだ? 僕は完全に三沢タカオに翻弄されて、その事態に気付いていながらも慌ててしまっていた。周りを見回し、何時の間にか電話を切って、それも着信拒否設定までしていた。このときは自分が何をしたのかわけがわかっていない。もちろん、何が起こるのかも。そして、何をすべきなのかも。こうなった理由も。

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To be continued.



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