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辻褄 Phase five

 火曜日。朝私が用事があって職場にいつもより随分早く行くといつも遅刻寸前のところで駆け込んでくるはずの大崎が珍しく私よりも先に来ていて、何だか分からないけどコソコソした感じで私を呼んだ。
「何?」
 ちょっと不機嫌そうに近付く私。
「あのさ、今日合コンあるんだけど来ない?」
 まだ私と大崎しかいないのに小声だってのが大崎のバカさ加減を象徴しまくっている。ん? 合コン? あたしゃ…。
「土曜日に飲み過ぎてお金ないっす」
 大崎はそれに動じることなく、
「相手は…あのグランの社員なのだ!」
と急に声が大きくなった。
 グランというのは巨大総合会社の名前で、"GrAnd"というブランド名で服・家電・車・通信いろんなことをやっている。「グラン製品だけで生活が出来る」ってのが謳い文句なのは有名だけど…。
「経営悪化グランぐらつく、って話なかったっけ?」
 大崎はちょっと考えて、
「だいじょぶよ。おごってくれるって」
 何でそうなる。

 いや、別にミーハーってわけじゃいのよ。合コンっていうか、呑みに来ただけよ。いや、マジで。とにかく私は大崎にくっついて渋谷に来て他のメンバーを待った。大崎はそもそも私じゃなく全く別の友達3人を誘っていたんだけど2人が昨日の夜にキャンセルしたらしいの。で、「山手線」メンバーの中で一番早く職場に来た人を誘うことにしたらしい。んーと、別に誰でもよかったんだわ。
「あ、来た」
 大崎とは違って頭のよさそうな女が小走りでこっちに来た。
「大崎さん、遅くなってごめんね」
 大崎にこんなまともな友達がいたんか、って驚きのまま「会場」に。
 向こうは4人でこっちは4-2+1=3人。何でかっていうと、大崎は「山手線」からもう一人誘ったら一人だけ仲間はずれになって、その一人にばれたときに何をされるか分からないのが怖かったらしい。

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「さすがグランよ。かっこいいし頭いい。クールだ!」
 和風の作りの内装、白木の柱、木のテーブル。それでいて洋風の照明なのだが全く不釣合いでなく洒落た雰囲気を漂わせている。僕はそんな飲み屋に来ていたが、後ろのほうでさっきから声の大きくなっている女が気になっていた。
 昨日、デパートで美奈子は見つからなかった。やはり女性ものの服の売り場というのは居心地のいいものではなく、誤って下着売り場に入って行ってしまったので尚のこと肩身が狭い状態だった。人の視線、とりわけ変態だと思って人を見る女性の視線は本当に冷たいことが分かった。
 そういう結果だったので今日はどこを探そうかと考えていたとき、昨日と同じタイミングで、
「二村だけど、お前心配だから来い」
という電話があった。三沢じゃないのでそれに応じたということだ。
 二村は2杯目のビールを注文すると僕の方に向き直って枝豆を口にしながらふと思いついたようなことを言った。
「実家にでも帰って裁判の準備でもしてるんじゃないか? でも確認しようがないか。まさかこの状態で彼女の実家になんか連絡とれないもんな」
「すぐ裁判に話が行くな」
「マユならどうだ? 彼女が他の男と寝ていたら」
「俺は浮気なんてしていないぞ」
「お前はそのつもりでも、真相を知っている人はいないし、少なくともお前の彼女は浮気したと思ってるさ」
「……」
「とにかく、どうする?」
「…俺だったら、しばらく一人になって考えた後でたぶん浮気の理由を訊く」
「じゃあ彼女もそうなんじゃないか?」
「何が?」
「お前に訊いてくるかもよ」
「いつ?」
 この質問に二村は苛ついたようで、
「知るかよ」
と軽く怒鳴った。
「ああ、そうか」
 二村は僕の顔をまじまじと見つめ始めた。それにちょっと戸惑った僕はどういう態度をとればいいのか分からず、
「何だよ」
 という、後になって考えてみると実に普通な応答をした。
「マユ、あれから自分からコンタクトを取ろうとしたか?」
「裸眼だけど?」
 このピンボケの聞き返しに二村は完全に呆れたようだ。
「連絡を取ろうとしたかって訊いてんの」
 え? 携帯電話は着信拒否していたからあの後は全くそんなこと考えなかった。
「着信拒否されて連絡のとりようがなかったから」
「そうか」
 二村が何か思いついたような表情になって自慢気に言った。そして、
「メールはどうした?」
「メール?」
「メールは試していないんだよな」
「あ、そうか」
 やっと活路らしきものが見えてきたとき、さっきからうるさい女の声がこちらに近づいてきた。
「グラン万歳。お持ち帰りしちゃって!」
 腹が立って活路のことも忘れて声のほうを見ると、完全に酔っ払った女が僕同様のスーツ姿の男にもたれ掛かってあからさまに「一夜を共にします!」というアピールを誰にともなく投げかけている感じだった。女と男のいた席には他に女性が2人、一人は嫉妬した目でその様子を見てもう一人は目が点になっている状態、それと男が3人僕に背を向けた状態で座っていた。
「どうした?」
 二村に言われて我に返った僕は二村に向き直ったが、もう出口の方に行っているうるさい女が気になって…。酔っ払って表情は滅茶苦茶だけどあのスッとした顔の輪郭は…。
 ふと気になったことを確認する手立てを思いついて僕は携帯電話を取り出した。それを見た二村が誤解して、
「早速試してみるか」
と乗り気になっていたが僕の意識はそんなところになどなく、ジョグダイアルで電話番号リストを追っていた。
「あった」
名無しの電話番号。土曜日のあの女性の電話番号だった。迷わずかけて、出口付近を見遣る。すると女は男にもたれ掛かっていながらも様子がおかしくなり、自分のバッグに手を伸ばした。バッグから取り出したのは…櫛(くし)。
 出口にいる薄汚く見える女は土曜日の女性に似ていただけのようで、自分でも良く分からないけどそのことに自分でも驚くほどホッとした。別に土曜日の女性が遊び人であってもそれはむしろ土曜日のシチュエーションから考えて自然なのに、あの理知的な顔つきの人間が遊び人であったら残念だという勝手な思いが頭をもたげてきたのだ。
 電話の向こうからは何の応答もない。出られないところにでもいるのだろう。考えてみると、電話に出られたら何を話せばいいのか分からない。これは電話に出られる前に切ってしまうのが一番だろう、と切ろうと考え直した。
「メールじゃないのか?」
 自分のことを完全に置き去りにして考え込んでいる僕に対して二村は不思議そうな視線を送る。
 その視線を僕は無視して携帯電話を切ろうとボタンに指をかけた。そのとき、携帯電話のスピーカーから声が聞こえた。慌てて耳を当てる。
「は〜い、品川で〜す」
「あ、えーっと」
 僕は突然のことに慌ててしまい、なんて言おうものか考えながら無意識のうちに出口を見ていた。
「あ!」
 出口にいる女が携帯電話を持っている。それを確認した僕は何も考えずに、
「えーっと、今、どこにいる?」
 という実におかしな質問を投げかけてみる。
「ん? 飲み屋だよ〜。今から…ねー」
 『ねー』は近くにいる人に同意を求めるような感じで、まさに出口にいる女がその動きをしているではないか。
「今からそっちに行く」
 勝手なことに一人で怒っている僕は静かにそっちに向かった。

 私はただの酔っ払いになって、気に入った男の肩にもたれ掛かって電話に出ていた。
「今からそっちに行く」
 誰だかわからない男の声の意味なんか分からないので電話を耳から話して見てみたんだけど、視点が定まらないで液晶画面を見ることが出来ないので携帯を切ってグランの男の腕に絡みなおした。
「やっぱりあなたか」
 今度は突然横から声がしたので振り向くと…。
「?」
 誰?
「土曜日の…」
男は私の反応が意外だったのか、戸惑っている様子だった。土曜日。土曜日。ああ眠い。早くベッドに…土曜日のベッド?
「ああ! マユ、だっけ?」

 マユ、とこの女性にも言われてしまい、僕は更に我を見失ってしまった。
「あなたは誰とでも寝るのですか!? やっぱり僕も、僕とも寝たんですか!」

 すごく変な訊き方のような気もするんだけど、マユ君が怒っていることは分かった。でも何で?
「気に入らない人とは寝ないわよ!」
 すっかり酔いが醒めた私はマユ君に怒られる理由なんてないから怒鳴り返した。グランの人が後ずさりするのも気付かないで。

「そういう問題じゃないでしょう!」
 訳が分からず僕のところに二村が来るが、珍しく僕が本気で怒っているのが分かって止めようとはしない。ただ、
「あのぉ、他のお客様のご迷惑に…」
 店員が来た。
 普通だったらすぐに謝る僕だが、本当に我を失っていたようで、
「ちょっと待ってください。もうすぐ話終わりますから!」
 そしてもう一度僕は女性に向かって、
「そういう問題じゃないでしょう!」

「じゃあ、どういう問題よ!」
 何で私が怒られんのよ。
「済みませんがお客様の…」
 私は店員に同調して、
「そうだよね〜! 迷惑なの! 放っといてよ」

 その直後僕の左頬に痛みが走った。女性が怒鳴りながら僕に平手打ちをしたのだった。平手打ちをした女性は背広姿の男をも無視して走り去っていった…この男も、僕も、二村も、カッコ悪い。

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 私はこれから一夜を共にしようとしていた男を放って店の外まで出たところで少し立ち止まった。
 …なんで誰も呼び止めに来ないの? 何それ。
 ムカついた私は怒りに任せて道を走り出した。
 そりゃあね、私は遊び人だけど、それは私の勝手でしょ。何で赤の他人のマユ君にそんなことを説教されなきゃならない? ちょっとおかしいよ。おかしい。自分だって私と裸で寝ていたじゃないか。
 そうして走っている私を遮るように目の前の信号が赤になったので、ただ立ち止まる気にもならなかった私はそこに座り込むことにした。ここで寝ちゃっても構わない。
 どうしてああいうところを見られちゃうんだろ。恥ずかしいじゃない。
「え?」
 自分の感情に驚いて一人で声を上げてしまった。
 恥ずかしい? だから赤の他人だって、マユ君は。だから一向に構わない。構わない…ことはないなぁ。やっぱり嫌だな。あんな再会は。
 急に寒くなってきて明日仕事があることを思い出した私は…帰ることにした。カッコ悪い。

To be continued.


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