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LibiDo Story 1_3
 真田は15人の園児の前で青いエプロン姿でその爽やかな声を張り上げた。
「みんな、おはよう!」
対して、座って真田を見上げていた園児たちは
「おあああああいまー!」
 女の子男の子を問わず前のめりの姿勢になってずいぶんとヤケクソな大声で怒鳴った。誰が「おはようございます」と聞けるだろうか。「我こそ前に」という根性が具現化した結果こうなる。中には自分の前の子を押さえつけて半分立ち上がっている子もいる。何の得もないにもかかわらず。
「さあ、先生たちのぉ、新しい仲間を紹介しまぁす!」
 廊下で園児たちの勢いに戸惑いきょとんとしている美香に真田が声をかけ、中に入るように促す。いろいろな場面で仕事をこなしてきたリサでも幼稚園は初めてで、いくら冷静なリサでも一瞬素に戻る。先ほど転んだのは美香であり、リサではない。演じた人物の動きの結果リサでさえ想像しない出来事に見舞われることは意外と多いもので、そのときこそ演じる行為が成功していることになる。それは役者とは違うものかもしれない。
 何もしないわけにもいかないので美香は頷いて教室に入った。
「はーい、みなさんおはようございまーっす!」
 美香も何だかヤケクソ気味にご挨拶。
「おあああああいまー!」
 しかし同時に園児たちは爆笑しだした。その理由は美香が一番分かっている。鼻だ。美香の鼻には大きなガーゼが当てられていて、非常に間の抜けた顔になってしまっていた。
 美香の、リサの頭を先ほどの園長の言葉がよぎる。
「あら、病院に行かなくてもいいの?」
 園長室で園長は美香の鼻、先端に痛々しい傷を負った鼻を見て言いながら傷薬とガーゼを用意していた。
「大丈夫です」
 リサは鼻が特別高いわけでもないので骨折はしないで済んでいた。むしろ少し低いため、別に美人と鼻の高さは関係ないということをリサは示している。とは言え、鼻は結構な擦り傷をたたえて流血していた。
 園長が薬をつけ、ガーゼを当てる。尋常でない染み方だが、我慢する。が、その表情が痛さを物語っていたらしい。
「本当に大丈夫? 美人台無しじゃない」
 …園児たちの笑いを無視して真田が園児たちに美香を紹介する。
「このおねえさんは、は・な・む・ら・み・か、さんです」
 途端に園児たちは笑うのをやめて騒ぎ出す。聞いたことないものを耳にすると訳の分からないことを言い出すのが子供の常で、
「はなみず〜!?」
「まさよしくんの妹、みかっていうんだよ」
「へんなの〜」
「「はなみずみた」だって」
「ママと同じ名前だ〜」
「うそー」
「あ、ちがうや」
「やつはかむらみか〜」
 滅茶苦茶である。
 何でこの子供は八つ墓村知ってる? リサは子供の前では下手なことが出来ないものだと思った。
 ともかく、花村美香の幼稚園生活が始まったのだ。

 遊戯、これをヤスは言っていた。そうリサが気付いたのは子供たちに襲撃されたときだった。子供たちは加減というものを知らないため、
「え、何? ちょっと待って!」
 美香が突進してくる園児を慌ててかわそうとしたが間に合わず押し倒されてしまった。リサは狙撃での暗殺を好むが格闘もする。そのリサが美香を演じているとは言え、子供の突進をかわせずに倒されたのはショックを覚えるものだった。
 ヤス…まともな仕事を持ってこい…。
 倒れた美香の上に数人の園児が乗り、くすぐったりつねったり叩いたりしてくる中リサはヤスを恨んでいた。
 さっきまで音楽に合わせて踊っていたのにどうしてこうなるのか。遊戯なんてこと自体が性に合わないのに、とリサは真田が園児を止めるまで考え続けていた。
「うわ! 鼻はいじらないで!」

 12時には昼食となる。皆母親手製の弁当を小さな黄色い鞄から取り出して自分の好みの場所に持ってくる。勿論母親のいない子もいるだろうがともかく皆弁当を手にしていた。教室に机はあるのだがどの机が誰のものかということは決まっていない。これには園長の「誰も平等であり居場所は他人に決められるべきものではない」という信条が反映されているそうだ。それでもだいたい友達同士で固まって、大抵の場所は固定しているらしい。力のある者が部屋の中心に陣取り弱い者ほど端になる。マイペースな者は窓際で外を眺め、女好きは女の子だらけのところに 、とまれながらも居座る。
 この様子はリサの目には社会の縮図に映った。あたしみたいなのはどことも付かない場所にいる。目立たない「その他大勢」でいる。それが重要。
 真田が全員の様子を見て、席に全員が着いたと見るや、
「はーい、皆さん元気に『いただきます』しましょう。じゃあ今日はミカ先生に言ってもらいますね」
爽やかな声で言ってそれから美香に小声で言う。
「花村さん、お願いします。お好きにやってください」
「分かりました」
ニコっと一つ笑みを見せると美香は園児たちを見回した。腰に手を当て前かがみになる。
「はい、みんな、お弁当を開けてみましょう」
 普段は『いただきます』の後に蓋を開けるので園児たちは戸惑う。美香は構わない。
「ほら、開けて〜!」
 園児たちは美香ではなく真田のほうを見る。真田が「いいんだよ」というように笑顔で頷きやっとそれぞれが弁当箱を開けだした。
「さぁ、見てごらん。おいしそうかな?」
 園児たちは各々に返事をする。はっきり言って誰が何と言っているのかなど分からない。
「お弁当を見て〜。好きな食べ物、嫌いな食べ物両方あるかな? お弁当に嫌いな食べ物あった人!」
 皆手を挙げてそれぞれに返事をする。美香は園児たちを見回して、
「じゃぁ、その嫌いな食べ物を食べられる人〜」
 はーい! という返事と、やだ〜という返事が入り混じる。
「食べられる人は、さあ食べちゃおう!」
 半分近くの園児たちが嫌いなものを食べてしまった。真田はその様子に驚いている。次に美香が予想していたことが起こる。食べた園児たちが食べていない園児たちを非難するような言い方で食べるように指示し始めたのだ。
「はいはい、食べられたみんなはよかったですね。でも食べられなかったお友達より偉いというわけじゃありませんよ。食べられたということは、嫌いではなかったということです」
 園児がみな美香の声に耳を傾ける。真田も驚きの表情が色濃くなって美香を見つめる。
「さあ、食べられなかったみんなはその嫌いなものを好きなものと混ぜてみよう」
 美香のこの提案により残りの殆どの子が嫌いな食材を克服したが、まだ食べられない子供が5人残っていた。その様子に真田は心配しながらも黙って美香に任せてみようと思っていた。なかなか面白い指導を子供たちにしてくれるものだと感心しながら。
 残り5人それぞれに全員の視線が注がれる。それらの子供はみな部屋の端の方にいるため一見して立場が弱いことが分かる。美香はそれらの子ではなく中央で一番偉そうにしているボス猿…園児に目を付けて、
「おい、まことくん。誰をいじめようか選んでるだろう」
 と軽い口調で言った。今まで偉そうにしていたまことくんは慌てて下を向いた。子供というのは自分の考えていることを見抜かれるとそれが悔しくて「読みは外れだよ」と言わんばかりに逆のことをし始める。これでいじめは回避できた。
「さ、食べられなかった皆は仕方ありません。無理なものは無理! とにかく嫌いなものはなくなりました。楽しく食べましょう」
 さらっと言ってのけ、大きく深呼吸すると、
「いただきます!」
 園児が元気に答える。
「いーたーだーきーます!」
 その後美香は定食屋に駆け込んでいった。あの顔で出かけるのは非常に恥ずかしいが朝、自分の弁当を作る時間などなかったのだから仕方ない。一方の真田は園児が食事をしている間、自分の弁当を見つめていた。この中にもいろいろな思いが巡るもので、好き、嫌い、未知など見る者によっていろいろな感情が生まれる。それぞれの食材が和を生んでいるようで、他の人が見れば何かの食材が和を乱して見えたり。これも一つの世界。嫌いなものを真っ先に消してしまえば調和の取れた世界に思え、嫌な気分なしに食事を楽しめる。今まで嫌いなものを頑張って食べ 驍謔、に指導していたことが正しいとは言い切れないと思い直し、皆の食事風景を見ていた。いつもよりも楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。

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 帰宅の途に着いた美香は双葉幼稚園のメンバーを頭に思い浮かべた。年長担当は真田の他に、優しい雰囲気の若い女性である千葉がいる。年少担当はやる気のなさそうな30代の女性である磯貝、真田に闘志を燃やしている感じの男性川島。少子時代とは言っても園長の言うとおり確かに人員不足だ。だからこそ潜入できたのだ。
 朝のミーティングが終わったとき千葉恵津子が美香に声を掛けてきた。
「美香さん、って呼んでいい?」
 懐っこい笑顔の女性だ、とリサは思った。身長は165cmと言ったところか、リサが欲しい背丈だ。 「ええ。千葉さん…ですよね」
「そう。千葉恵津子。23歳だから同じ歳だよね?」
「ああ…そうね! あ、分からないことが多いから教えてね。よろしく」
「こちらこそ!」
 そしてお互いにおどけたようなお辞儀を交わした。
千葉は笑って言った。
「何でも教えちゃうよ。どの子の父親がかっこいいかまでね」
 いい話し相手が出来たと思う。まずはこのようにして環境に馴染むのが重要だろう。それから本題の誘惑に取りかかるべきだとリサは考える。期限はあと13日なのでのんびりなど出来ないが、急ぐときほどしっかり基盤を固めないといけない。それがリサの持論だった。 それにしても何故2週間なのだろうか。殺しでもないのに急ぐというのがリサには解せなかった。それも殺しよりも時間が掛かるような内容のミッションで、だ。
「お腹空いた」
 家に着いた美香は呟くと夕食を作り始めた。

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 翌日、ミッション2日目。園児たちを引き連れて真田と美香が庭の端、チューリップのプランターのところへやって来た。子供の場合は季節に依らず晴れの日には日射病が考えられるので子供たちは可愛らしいピンクの帽子をかぶっていた。驚くくらい小さな如雨露を手にちょこまかと歩く様が面白い。プランターは8つ。年長・年少合わせて4クラスあり、それぞれが2つずつプランターを持っている計算だ。今日はもう既にふじ組のプランターが2つとも日向に置かれていた。昨日のうちに真田が移動させていたのだろう。だがもちろん急に元気になるわけでもなく 、チューリップは弱々しかった。一方、真田を敵視している川島の受け持つイルカ組のチューリップは群を抜いて元気そのもの。
 ただ、子供たちは口々に
「あ、大きくなった!」
「チューリップかわいいね」
「わたしのがいちばんきれい」
 と満足そうだ。
 リサは最後の子を見て思った。間違いなく大人になったら「私が一番綺麗」と言い切る、この子は、と。
 園児たちは真田の指示で皆自分の如雨露に水を汲んできてチューリップに水をあげる。その様子をよく見ると土にではなく花弁にたっぷりと水をくれているではないか。花の部分がコップのように水を受けているのだ。これにはリサも心の中で唸った。確かにやってしまう間違いだ。
 改めてイルカ組との成長の差を見る。日向と日陰でそんなに差の出るものなのだろうか。自分は日陰の人間だけれど他の人と大差無いように思えてならないが、などと考えているとスカートの裾が引っ張られた。見ると女の子が恥ずかしそうに言った。
「おトイレ行きたいのぉ」
真田ではなく自分に言ってきたのが美香には微笑ましかった。

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