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第一節 第三節

君は君のまま
第四話おかあさんといっしょ 第二節

 少年の話を聞いた響子は息をついた。
「死んだおかあさんの代わりは、おとうさんが決めるのが普通なんじゃないかなぁ」
 昨日の貼り紙の主はこの少年、きたじま しょう であった。まだ自分の名前すら漢字で書けない小学2年生。名字くらいは漢字で知っておこうと、響子と日下部は『きたじま』にあてはまる漢字を手当たり次第に書いて少年に示すという推理の手段をとり、『喜多島』を得ていた。更に『しょう』は『翔』ではないらしいということも分かっていた。
 少年に「お出し」した茶菓子がなくなっているのに 気付いた日下部が追加を持ってこようと立ちあがった瞬間、少年が怒鳴った。
「おねえちゃんもおんなじ事言うのかよ!」
「え、何が?」
 響子は子供の感情むき出しの言い方にひどく戸惑い、日下部に助けを乞う視線を送ろうとしたら、彼は既に茶菓子を取りに発っていた。
「しょう君、私悪いこと言った? 気に触れたなら謝るわ」
 その言葉は少年には届いていない。
「僕のおかあさんは僕が決めるんだ。おねえちゃんは優しいと思ったのに……」
 少年は走り出すわけでもなく、うなだれた様子で歩いて事務所を出ていってしまった。引きとめようと思えば出来たはずだが、少年の哀愁が大人のそれであるような錯覚に陥って響子は立ち尽くしていた。
 日下部が茶菓子を手に戻ってきて響子の背後で呟いた。
「まだ、あの子は社長に興味があるみたいですね」
 応接用のソファの上には住所を書いた紙がぽつんと置かれていた。

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 あのRAV4で巴は、
「逆ナンしてきまーす!」
 と宣言して遊びに行ってしまった。
 恵は、車があるなら必要な備品を買いに行こう、と思ったのだが、見事に逃げられた形になったということになる。
 仕方が無いので打倒Cassiopeiaの作戦を練ることにした。
 まずは完璧な価格設定をしないとならない。そうなると、相手の価格設定を知る必要が出てくる。しかし、相手の存在を一昨日知ったばかりで場所も分からないのだから調べようが無い。更に、場所が分かっても、偵察要員がいないのだから仕方がない。
 困った話だ、と恵はため息をついた。

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 響子はあの後日下部を留守番に置いて、少年の残した住所を辿って『喜多島』の表札の前まで来ていた。距離と場所から見て、少年はバスでCassiopeiaに来たことになる。
 曇天故に空の様子から時間を推し測ることは難しく、響子が手首を上に向けて腕時計を見ると12時丁度であった。
 どうすべきか全く考えずに来てしまったので、今になって考えこむ。響子はしっかりしていそうで、こういうところがある。
 ここで帰ってしまっては無意味なのでインターホンを押すことにした。
 都心からは少し外れたところ、それでも土地は高いだろうと想像できる場所にこの家はあった。大きさが響子の家と同じくらいのものであることを考えると、そうとうの資産家ではないかと思われる。
 ドアがガチャッと音を立てて開き、
「おねえちゃん、やっぱり来てくれたんだ!」
 あの少年の声が響いた。そして駆け寄って手を握り、
「どこか遊びに連れていって!」
と、はしゃぎだした。
 少年に行動を既定されていたのかと思うと悲しくなる響子であった。
 ……あれ、今日は何曜日だったかしら? ……土曜か。
 曜日の感覚がなくなって悲しさが倍増した……。
「おとうさんはどこにいるの?」
 仕方なく少年の手を握り返して軽く振りながら訊いてみた。
「いないよ」
「どこに行ったのかな?」
「知らない」
 響子は途方に暮れて日下部に電話をすることに決めた。

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 日下部は、しばし考えていた。受話器をもったままで。
「日下部君、聞いているの!?」
 響子のヒステリックな叫びによって日下部は我に帰った。
「ああ、聞いていますよ。親がいないんじゃどこに連れていこうと問題ですよ。お宅にお邪魔してはいかがでしょうか?」
「それだって訴えられかねないわ」
「連れ去ると誘拐呼ばわりされますよ。それよりはましじゃないでしょうか?」
「日下部君、代わってよ、この仕事」
「この件は社長ご氏名でしょ」
「う〜〜、え、何?」
 響子の声が急に高くなったので日下部は困惑した。
「『何』って、何も言っていませんよ」
「どうしたのよ、家に隠れるってどういう……」
 どうやら電話の向こうでは少年が響子に何かをしているらしい。それに対して響子が問いかけているようだ。
 面倒なことになりそうだな。ここはひとまず、
「電話、切りましょうか?」
「絶対駄目!」
 響子の怒鳴り声の情報を携帯電話では残しきれなかったらしく、音が割れた。
「……切りたい」
「切ったら給料なし!」
「脅迫しないでくださいぃ」

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 響子は少年に無理矢理家に連れこまれていた。
「ジュース取ってくる」
 リビングからは死角になっている台所に少年が姿を消すと、響子は観察するように家の内部を見回した。
 調度が整然と、それでも和やかな印象を受けるような感じで置かれている。テーブルも奇麗に拭かれている様子で、およそ男やもめと一人息子の家という感じは見受けられない。背後の壁を何気無く見ると幼い絵が飾ってあった。花々を中心に様々な昆虫が飛び交っている絵。
 カブトムシって花の蜜吸ったかしら? ……ん?
 響子の目に止まった名前は『喜多島 晶』とあった。
 しょう君のじゃないみたいね。誰のかしら? しょう君曰く一人息子だった筈だけど。
「はい、オレンジジュース」
 少年が乱暴にコップをリビングのテーブルに置いた。こぼれないのが不思議なくらいだ。
「じゃ、いただきます」
 響子は素直に頂戴することにした。父親の帰宅を待つべきだろう。外で。だから少年を外に誘導する必要がある。
「外にいこうよ。ね、おとうさんはいつ帰ってくるのかな?」
「待って」
 少年はお気に入りのロボットの変形に夢中だ。
 ……あれ? しょう……水晶の晶ってこと!?
「ねぇ、しょう君、『あきら』っていう名前ではないの?」
「そうとも言う」
 おい!
 らちがあかないので響子は晶を無理矢理外に連れ出そうと手を掴んで立ち上がった。その瞬間、晶は屈託のない笑顔で響子を見つめて、
「ねぇ、明日の授業参観に来てよ」
と言い、何やらメモをよこし、
「じゃあね。バイバイ!」
と手を振った。
 結局、晶の一方的なペースに飲みこまれたまま響子は喜多島邸を後にした。そしてバイパーに乗ろうとしたときに背後から声を掛けられた。
「失礼ですが、私に御用でしょうか。あ、私喜多島と申します」

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