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第二話
御犬様競争 - first contact -
第一節
Cassiopeiaが開業してから5日目の午前8時。今日まで客はいない。
「ピンチよ」
倉持響子はいつものように肘を持つ腕組をした。椅子から立ちあがって、ガラス張りの狭い事務所をぐるりと歩き回ってみてもいらいらは募る。早朝、雨が上がって晴れたので側の道路は氷の粒が撒かれたようにキラキラと日の光を散乱させていた。その様子に響子は今まで気づかなかったので、道路を見て歓喜の声を上げた。
どのようなサービスが世間に望まれているのかを1日中徹夜でネットサーフィンして調べていた日下部慎太郎(くさかべしんたろう)は、
「うるさいですよ!」
と怒鳴ったが響子は聞いちゃいない。
「社長も調べてくださいよ!」
日下部の怒鳴り声と重なって電話が鳴った。
一瞬、二人が止まって顔がほころびそうになったが、一回間違い電話があったことを思い出して冷静になった。日下部が電話を取る。
「はい、こちらカシオペアでございますが……はい、内容は固定しておりませんので私どもがお力になれることでありましたら何でもお引き受けいたします。……犬ですか? ええ、可能ですが。……分かりました。では今すぐにお伺いしますのでご住所を……田園調布……」
響子はそこまで聞いて、腕組を解いた。
普通に考えてお金持ちじゃないの。これはいいわ。
「はい、かしこまりました。お伺いいたします。よろしくお願いします。失礼します」
電話を置いた日下部の目が輝いている。お前は電気工学の人だったんじゃないのか。
響子が決まったスーツ姿に似合わない、ちょこちょことした足取りで駆け寄ってきた。
「何だって?」
「犬の事らしいんですが、詳しいことは会って話したいということでした」
「もしかして犬探し?」
響子は訝し気(いぶかしげ)に聞きながら例の腕組をした。
「さあ、どうでしょうかね。取り敢えず行ってきます。一帯で一番大きい家だそうですから迷わないと思います」
「分かったわ。行ってらっしゃい。これ、キーね」
響子のしなやかな手から放たれた車のキーが空を舞った。
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松坂恵とその社員兼同居人の三宮巴(さんのみやともえ)は朝食にトーストとスクランブルエッグ、牛乳を食していた。
巴が嬉しそうに、
「昨日の引越しの仕事、完璧でしたね」
と昨日の、一人暮らしをする学生の引越しを振り返った。
「本当ね。トラックは借りることになったけれど報酬3万円だものね」
「これからこういう仕事増えるかもしれませんね」
「住人が多いし、大学も電車で近いから出入り両方の仕事がありそうよね」
食事が終わりかけた時に電話が鳴った。
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日下部は響子のダッジバイパーを恐々運転していた。慣れない左ハンドルに巨大なボディー、それに付け加えて340psオーバーのパワーが恐怖感を煽っている。今日初めて運転してみて響子がどうやってこれを軽々と運転していたのか不思議になった。
一番恐いのが信号機だった。止まる分には何の問題も無いが、いざ青信号で加速させようと普通の車の感覚でアクセルを踏み込んでしまうとホイルスピンしてしまう。空回りが終わると飛び出すので前の車にぶつかりそうになる。
恐いのは嫌だけど、バイパーなら田園調布でも馬鹿にされないだろうな。
日下部は恐いながらも安心しているという不思議な心境になった。
そう言えばどうして社長は俺を遊園地なんかに連れていったんだろう? あとで聞いてみよう。
ふと上の方を見ると、最近にしては珍しく雲が無く日差しが強いが、早朝まで降っていた雨の気化熱のおかげで気温はそう高くなりそうもない。
当然と言うのだろうかカーナビが搭載されていて道に迷うことが無いのだが、田園調布に近づくに連れて豪華な家々が眼を引き、つい迷いそうになってしまった。
「やべ」
道を一本間違えた。
気を取り直して正しい道に入った時に思ったことがある。
豪華だけど、家以外何も無いじゃないか。
飛びきり大きい家が目に付いた。
「ここだな」
車を止めて表札を見ると「橘(たちばな)」。間違いない。中世ヨーロッパの牢屋のような門構えに多少おののきながらインターホンを押した。
「どなたでございますか?」
電話をよこしたのは中年女性のようだったが、こちらは若い女性だ。使用人らしい。
「カシオペアの者ですが」
と言いながら自分の斜め上にある監視カメラが目に留まった。ダミーの筈はない。監視されているようで嫌な気分になる。というより監視されている。
「かしこまりました。お入りください」
ガチャ、とインターホンが切れて日下部は取り残された形になった。
ん? 俺はどうすれば良いの?
ちょっと戸惑っていると門が自動で開いた。ゆっくりと、金切り声をあげながら開いた。それは自動らしからぬ騒音だった。近所に対する嫌がらせなんじゃないかと思える。
門を入ろうとした時に白い車がやってきた。安っぽくて場違いなので目に付く。
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巴はレンタカーで田園調布にやってきた。
「たちばなって漢字は……」
依頼人の名前が分からないのはまずいだろう。
大きな家だって聞いたんだけどなぁ。あ、ここだ。
そこの門に入っていこうとする男がいた。
関係者かしら? 何か搬入している業者かな? 背広だけど、セールスマン?
慌てて白い安っぽい車を止めて男に駆け寄った。巴は数々のアルバイトで培った笑顔で、
「ここの方ですか?」
と聞いてみた。一方、日下部は戸惑った。
「いや、用事がありまして」
何だ、この娘は? 俺と同じ位の年かな?
日下部は巴の外見というより仕種から、とても頭脳明晰とは言えない娘だと感じた。赤い薄手のセーター、ちょっとミニのデニムのスカート、長めの髪に化粧気なし。安っぽい車でこの豪華な家に来るとは確かに何者だか分からないかもしれない。
「私も用事があるんです」
「じゃ、御一緒に行きますか」
成り行きという奴か。
門から玄関までは至って一般の家と変わり無い距離だった。重厚なドアが待ち構えていたが、すっと開いて如何にもメイド然とした服装の女性が出てきた。
「カシオペアの方々ですね」
その言葉に日下部と巴は同時に戸惑いを見せて口篭もった。お互いにどちらから言い出すべきか分からずにいる様子だ。
それにメイドは気づいたようで、巴に向かって、
「そちら様は?」
と、失礼なのだか丁寧なのだか分からないような聞き方をしてきた。巴は臆することなく、
「お呼びいただきました松坂屋でございます」
日下部は驚いた。金持ちはデパートを呼び寄せることもあるのか。
事実、デパートもお得意様に対しては出張することがあるが小娘一人ということはない。
メイドは一瞬考えたように見えたが、すぐに思い付いたように、
「あ、便利屋の方でございますね」
と、日下部の度肝を抜くような言葉を発した。
おいおい、うちと同業者を呼び付けたのか? 何だよそれは。
「では、お二人とも奥様のお部屋へご案内いたしますのでお越しください」
メイドに付いて二人は階段を上がっていった。階段には赤い絨毯が敷かれていて、手すりはゴシック調のデザインで白く美しく輝いていた。
巴は始めて見る豪邸の内装に感心しながら自分が住んだ時にインテリアをどうするか、などという無駄なことを考えていた。一方の日下部はそんな巴を見て、
女ってこういうの好きだよな。
と一種の軽蔑をしていた。
木目がはっきりとしたドアの前まで来てメイドがノックをした。
「なぁに?」
まどろっこしい声が返ってきた。
「便利屋の方々がお見えですが」
今度は巴が驚いた。
え? この人同業者!? ……敵じゃん。
ドアの向こうからは、
「はいはい、どっちが来たの?」
という返事。
「両方でございます」
「あら、そう。じゃ、入ってもらって頂戴」
メイドがドアを開けて二人を促した。部屋の中には二匹の大きな犬と、白い椅子に座っている中年の婦人がいた。背に窓があったので逆光で顔がはっきりしなかった。婦人は二人を見比べて、
「ふん、どっちがどっち?」
と犬の頭を撫でながら聞いた。
巴は真っ先に前へ出て、
「松坂屋の三宮と申します!」
と日下部に対して先手を打った形になった。
分が悪くなった日下部は仕方なしに自己紹介した。
「カシオペアで御座います」
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