恵の指示で1000万円を探すことになった巴は3時になるのを待った。銀行が閉まった後に乗り込もうという無謀な考えだ。確かに侵入するには客がいない方がいいのかもしれない。
裏口にまわって、違法駐車の車の陰に隠れた。当ても無いけど侵入のチャンスをうかがう。
どうして私がこんなことしないといけないのよ。あ、この調子じゃ会社が出来てからもこき使われることになる。
「逃げちゃおうかな」
と呟いても逃げる気はない。いくら小さな会社でも正社員にしてもらえればありがたいのだから。
忍び込む必要はなかった。巴が、
「『さっき出ていった女の人、宝くじで1000万円当てたんですよぉ』って言いふらしていました」
と言ったその行員と、若そうな行員が連れ立って出てきたからだ。もちろんその二人こそ恵と、1000万を預ける預けないでもめた相手だ。
中年の方が怯えた表情で言う。
「熊田、まずいぞやっぱり」
熊田という若い行員は表情一つ変えずに、
「提案したのは課長ですよ」
と返事している。
んー、こいつらやっぱり怪しい。あ、アタッシュケース持ってるじゃん。きっとあの中身が恵さんのお金だ。
二人はこっちに向かってきた。
「げ」
二人は、慌てて逃げようとする巴に気づかないまま巴が壁にしていたその車に乗り込もうとした。
逃げられる!
「ちょっと、待ちなさいよ!」
二人の動きが止まって、巴を見た。
「何だ?」
二人が同時に巴に言う。
「そのケースのお金、返してもらうわよ!」
巴が飛び掛かると熊田がアタッシュケースを武器にしようとした。それでも巴がしつこく食い下がってアタッシュケースを奪った。それを車のボンネットに置いて開け……。
「ん!?」
開くわけない。番号と鍵が必要なのだから。巴は腹が立って、
「ちょっと、これ開けなさいよ」
と命じる。
「どうして開けないとならないんだ」
熊田が憮然とするので巴は自分の腰に手を当てて、
「1000万円返してもらおうじゃないの。このお金は社長のものよ」
アタッシュケースを指した。すると中年の方が目に見えて怯んだ。一方熊田は変化が無い。
「OK。開けてやるよ」
熊田がアタッシュケースを開けると中身は……。
「見てみろよ。空だぞ」熊田は得意気。
「うそぉ」
巴は顔から血の気が引くのを感じていた。
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日下部慎太郎の脳裏によぎるものがあった。
この人、実は俺がいつまで我慢できるか試しているのかもしれない。何も聞かないでいた方がいいんだろうか?
「ねぇ」
運転している響子が前を見たままで言った。
「あ、はい。何ですか」
「何が得意?」
お、いよいよ会社の話だ。
「電気工学と哲学です」
「何その取り合わせ?」
「哲学はサークルでやっていたんですけれどね」
「ふーん」
ちょっと使えないわね。
「株は興味ないかしら?」
「いやぁ、ちょっと分からないですねぇ」
う……。何か使えることはないのかしら?
日下部は響子の困った顔を見て戸惑った。
「あの、電気工学は無意味ですか?」
「ん? 遊園地でも行く?」
「は?」
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金が入っていると思い込んで開けたアタッシュケースが空っぽだったので固まってしまった巴ちゃん。それに熊田が追い討ちを掛ける。
「さぁ、どう落とし前をつけてくれる」
課長の方はおどおどしているが巴はそんなこと気づかない。
「んー。んー、隠したんじゃない!?」
「馬鹿かお前は」
熊田と言う男、口が悪い様子。
「じゃ、何よ、入っている筈のお金が無いって言うのは元々無いって言うこと!?」
「あるわけないだろ」
どうやってこの場を逃れればいいのかしら? うー、
「ごめんなさーい!」
巴は一目散に逃げ出した。
逃げ去る巴を見たまま課長の方が口を開いた。
「やっぱりまずいんじゃないのか?」
熊田は無表情を保っている。
「まずい事なんかありませんよ。違法行為はありません」
「窃盗はしていないが、やっぱりやばいぞ」
「むしろ資産を増やしてやろうという優しさですよ。ついでに私たちの成績が上がったということです」
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何故か遊園地に来た響子と日下部は車を降りた。入り口で立ち止まる。
癖の腕組をして響子が日下部の方を向いた。
「日下部君、ごめんね」
「え? 何がでしょうか」
日下部は直感した。会社など既に無いのだと。
響子はバツが悪い様子なので日下部が口を開いた。
「会社、倒産したんじゃないですか? そうでなければ傾きかけているとか」
響子は少し安心したように、
「ううん、そうじゃないの。それならまだいい方よ」
と髪を梳(す)いた。響子は言葉が少ないのが癖のようで、日下部は苛立ってきたが穏やかに、
「じゃ、何ですか?」
「会社なんて元から無いのよ」
はぁ? 元から無い!? 俺をからかったのか?
「って……俺をここまで連れてきたのは何故なんですか?」
極力冷静を装って聞いてみた。
「ん、商売をしたいと思って」
「意味わかんないですよ」
自ずと日下部の語気も荒くなってきた。
「アイデアが欲しかったのよ」
「アイデア? じゃ、会社を作るんですか?」
「会社……そう……なるのかな」
響子は今になってやっと会社という具体的な表現を頭に描いた。
日下部は呆れて腰に手を当てた。
「会社を興すということは、社長ですよね。それなら僕が始めに言ったことが当たっています。その会社、入れてもらいますよ」
「あ、そんなこと……」
響子が珍しく圧倒されている。
「よし、決まりです! 起業記念に遊びましょう!」
日下部は強引に響子の背中を押してチケット売り場に行った。
響子は我に返って、
「何の会社にするかも決めないといけないわね」
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