どちらかというと小柄な女性が銀行へ入っていく。実は彼女、松坂 恵は銀行に来ることに嫌気が差していた。どこの銀行に行っても普通の貸し渋りじゃない。25歳の女性とくれば会社を旗揚げする資金など安々と貸してくれるはずがないと知ってはいても耐え難い言葉の数々。
「あのね、女が会社をやってどうするの? 男と同じことやっても失敗するのが落ちだよ」
「そんなに金が必要なら風俗でも売春でもあるだろ」
「ここに来る暇があったらドブでもさらって金探しなさいよ」
思い出すと頭に血が上るので思い出さないようにしていたら何時の間にか具体的に何を言われたのか良く分からなくなっていて、腹立たしい感覚だけがこびり付いたように残っていた。恵は一行(いっこう)につき5回は足を運んで、この銀行「しずく銀行」で諦めるつもりでいた。しかし転機が。「しずく」に訪れご多分に漏れず言葉の槍を刺され、怒りに打ち震えていた帰路で何気なく買った宝くじが1000万円に化けたのだった。従って、今日「しずく」に訪れたのは換金のため。それでも足を踏み入れると嫌悪感が恵を包む。普段は通されないような応接室に通され目の前にアタッシュケースが置かれる。恵がアタッシュケースの光ったのを見たその瞬間に目の前にいやらしそうな中年行員の顔がぬっと現れて、
「あのぉ、是非とも我が『しずく』にお預けください」
と宝くじお決まりの胡麻刷りが始まった。
ちょっと、何よこの態度の違いは。この前はいやらしい顔して、
「そんなことより愛人になればそれなりにお金あげるぞ」
とか何とか言っていたじゃない。いやらしい顔には変わりが無いけど。
何も答えていないのに若い行員がアタッシュケースを持っていこうとしたので恵は慌ててアタッシュケースを押さえた。普段はクールな恵だがここは必死。
「誰も預けるなんて言っていないわよ!」
「ではおいくらほど」
若い行員も引き下がらない。
「全額お持ち帰りよ! だから別のアタッシュケース持参したの!」
恵の大きな眼がにらむと中年行員が怯みながらも
「しかし、危険ではないでしょうか?」
と食い下がる。恵は更に眼を広げて、
「あのね、私が1000万持っていることを知っているのはあんたたち2人だけよ。もし襲われたら犯人は2人に絞られるわね」
無茶苦茶な台詞で締めくくった。
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「『何でも屋』をやるにしても男手が欲しいのよねぇ。それにしてもお金って軽いわね」
何とか奪取した1000万円の入ったアタッシュケースを自然に持って恵は銀行を後にしようとした。と、
がしゃあん
という音が耳をつんざいた。
そこにいた誰もが音源の方向に視線を送る。
「ばか! 何やってんだ! そこのバイト!」
すっころんだらしい人物に罵声が飛ぶ。その足元には、一人で運んでいた大型モニターが間抜けな格好で転がっていた。その人物が顔をあげると、うら若き女性だった。大型モニターを一人で運ぶくらいだから大柄なのかと思えばとんでもない、むしろ華奢。器量も悪くない。
「ははは…、済みませぇん!」
赤い帽子に赤いつなぎの服なので運送のバイトらしい。モニターを拾い上げて、
「よっ! 壊れるなぁ、生きていてよ!」
とまあ威勢がいい。今日は「しずく」にいろんなものを搬入しているらしく、後ろから箱を抱えた大きな男性が何人も来て、そのうちの一人が彼女に、
「壊れていたらクビだな。やっぱり女にこの仕事は無理だ」
と嫌味を言った。
「やだなぁ、壊れちゃいませんよ。もし壊れていたらこの可愛い三宮ちゃんとお別れですよ。壊れていないことを願っていてください」
鈍感なようだ。
恵はそこまで見て、自分が大金を持っていることを思い出したので足早にそこを立ち去った。
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「何で相続税こんなに高いの?」
倉持響子の母は未婚の母でありながらクラブ経営で一財を築いていた。響子はクラブということで嫌ではあったが自分のためであったということで母に感謝していた。二ヶ月前、その母が心臓発作を起こして急死したために全てが一人娘の響子のものになった。25歳の女性に突然数億の遺産が残されたわけだが相続税はその多くを奪っていった。手元に残ったのは家と約2000万円。家+都心の3件の店がここまで減ってしまった。母が残した金を食いつぶすような性格ではなく、増やすことを考える響子であった。
「相続税ね、どうして高いんでしょうね」
と、阿呆な答え方をして税理士は去っていった。
「はぁ」
家は都心にある豪邸だがこれを資産税から守って維持するためには相当の収入が無いとならない。母の城、この家を失った時が最後だと響子は考えている。
「株」
呟きながら響子はパイプで出来た前衛的なデザインの椅子から立ちあがった。癖の、両手でそれぞれ反対の肘を持つ形の腕組をして、当ても無く二階の自分の部屋へ上がっていく。
「あ、」
思い付いてパソコンの前に座り、電源を入れた。起動するまでの間ぼんやりとしてしまう。身内はなく、この世界に一人残された形になったのだから無理はない。いくら気丈な響子でも先行き不安というもの。
ネットに繋ぐ。そして検索エンジンで「株」と入力。
「ネットって株式取引盛んなのね」
取引を行っているページの一つに行ってみると金属、食品、サービスなどの業種分類がある。
金属は不安ね。食品が無難かしら。
一応金はあるので20万円分の株を試しに買ってみることにした。新商品に社運を賭けた、グラフが下を向いている飲料食品企業「ジラフ」を購入。もしうまく行くようであれば株で稼げるだろう。
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恵はアパートに戻るとアタッシュケースをテーブルに置いて早速起業の準備に取り掛かった。実はとっくに元々あった手持ちの資本金100万円で起業申請を済ませていたので、社員募集の張り紙作りをする。当然パソコンで作る。
「便利屋、社員募集。給与応相談っと」
順調に張り紙の原本を作った。そしてコンビニへコピーしに行く。
「ええっと50部くらいかな?」
カラーコピー50枚。金も時間もかかるがこれくらいしないと人目を引かないだろうと考える。それにこの快晴。気分もいいし、こんなこと苦にならない。
松坂恵は身長157cm、体重は不明だが程よく痩せている。聡明だが父親に、
「女が大学に行ってどうする。絶対に行かせないぞ」
と道を閉ざされたので短大で簿記などの資格を取った。その後会社に勤めるが、わけあって5年で退社したために一念発起、起業しようと考えたのだ。困っている人を助けることが出来る仕事といえば、
「便利屋!」
という素晴らしいのか間抜けなのか分からない発想で何でも屋を始めることにしたわけだ。そして銀行に通いつめ……ということだった。
コピーを終えた恵は早速張り紙をしていく。大通りの電柱、住宅街の壁など手当たり次第に楽しみながら、夢を膨らませて張っていった。雨が降った時の事はあまり考えていない様子。
ともかく半分スキップしながら帰宅する。テーブルに置いていたアタッシュケースを開けてみると、
「ない!」
「うそ…。どうして消えちゃうの!?」
確かにアタッシュケースの中身は無くなっていた。
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